映画感想


上映開始からずいぶん経ってしまいましたが、ようやく映画を観に行く事が出来ましたよ!「やっと観られる!」という歓びと「ついにこの日が…」というドキドキを胸に映画館に向かう、こんな経験は久しぶりだよ!
それでは映画感想です。何の関係もない六鬼団を力技でねじ込んでいくスタイル!
※ネタバレになるので隠します。


・「何の関係もない六鬼団を力技でねじ込んでいくスタイル!」と書いている時点でお気づきとは思いますが六鬼団の出番はありませんでした。ガッカリしたような安心したような複雑な気分。
・まず最初に言いたいのはですね、「結構良かった」という事ですよ。もちろん色々物足りない点や不満な点は有りますが。事前に不安感ばかりが渦巻いてハードル下がりまくったからかも知れませんが。最初に映画化の話を見た時からずっと「えっ卍がキムタク…!?」「むげにんにジャニーズ…!?」という不安と違和感を感じ続けてきましたが、映画を実際に観た今は、「そこらへんについては想像していた(心配していた)よりも良かった」と言いたい。
・今後の人生で二度とキムタクが出ている映画を映画館まで観に行く事は無いだろうし、キムタクのファンになった訳でもないし、ジャニーズに興味を抱く事も無いけども、「無限の住人の実写映画で卍役を演じた木村拓哉」は良かったのではないかと思います。
・細かい所を言ってしまうと長くなってしまうので、個人的にお気に入りのシーン等を書いてみます。
・時間制限のある映画だから仕方ないのですが、大幅カット&ストーリー改変により加賀から帰ったその足で那珂湊に突入した感じになっています。
・原作では町を斬られる前から「百人斬り」だったけど、映画では町を斬られた後の司戸一味との戦いの後に「百人斬り」と呼ばれるようになったようです。
・全体的に「卍という不死者」を原作とは違う角度から観ているような気になります。
・カラーの司戸が見られるのはパンフレットだけ!
・卍が不死になってから50年後に凛と出会うという設定。
・門下生と一緒に稽古したり、無邪気にもりもりご飯を食べていたり、そんな凛の姿を両親が苦笑しながらも温かく見守っていたり、何も知らず平和な日常を送る凛の姿が微笑ましい浅野道場。
八百比丘尼の笑い方がめっちゃ八百比丘尼
・映画鑑賞中には気付かなかったんですが、パンフレットで八百比丘尼をよく見ると足がとんでもなく汚れて真っ黒になっているんですよね。この足の汚れは、決して穏やかな物ではなく過酷で残酷だったであろう800年を歩いてきた八百比丘尼の人生を表しているのかもしれません。
・妹の墓(石を積み上げただけの質素な墓)に花を添えて手を合わせ「おれもそろそろそっちに逝くから…なんてな」と、不可能な事を口にして自嘲する卍の姿が辛い。
・凛の息使いがとても印象的でした。戦いの中に在る時や閑馬に蟲を勧められた時、自ら剣を持った時など、恐怖と緊張の中にいる時に物凄く呼吸が速くなっているんですよね。ほんの2年前まで普通の生活をしていた女の子が、多少覚悟を決めたからといっても変態どもに自分や卍を斬ろうとする剣士達に囲まれて命のやり取りの渦の中に居たら流石に呼吸も乱れるさ。
・町と凛を同一視するわけではありませんが、町を切った四道で凛のストーカーを斬る、町を守れなかった冒頭での乱戦と凛を守りきった最後の乱戦、四道によって背後から斬られ命を落とした町と自分の腕で四道を振るって真正面から天津を刺す凛、といった色々な対比を感じました。
・凛があの輪っかの中から薬を出して卍に飲ませるシーンが無いのが地味に残念。
・閑馬の衣装の裾が地を這うように長いのは、衣装の乱れを正す事にすら意識を向けられない程の絶望を表しているのでしょうか。
・もしくは過去200年の何処かの戦いで両足をバラバラに切断され、組み合わせて再結合する時にうっかり肉片をいくつか忘れてしまったせいで短足になってしまったという表現とか(違)
アフタヌーンでの映画ロケ漫画のせいで閑馬のシーンではずっと脳内でギヌロロロが鳴り止まなかった(笑)
・ぬかるみでの戦いの後、凶の名前をわざわざ聞いたのに、その後特に出会う事の無い卍&凶。
・天津が女郎(?)みたいな女性に案内されて廊下を急ぎ足で進み、その先にある部屋に入るシーンで「おっ!きっとこの部屋の中に槇絵様が待っているんですね!」とワクテカしたら室内に半裸の凶が寝そべっていた時の驚き。
※凶は傷治療中です
・予告動画で観た時から気になっていた火瓦&宇留間&花田が本当に登場してテンション爆上げ!一瞬だけど宇留間&花田の掛け合いが観られて満足です。
・でもね…でもね…花田…前歯無い…めっちゃ老けた…50代のビジュアル…髪の毛灰色(まだら白髪?)…前歯無い…(二回目)どうしてこうなった…ショックすぎてグラサンが■●だったかどうか確認できなかったわ…(見終わった後にパンフレットで確認したらちゃんと■●でした)
・もし映画に六鬼団が出ていたとして、例えば叢咲の前歯が無くなるとか心兵がサモハンキンポーみたいなポッチャリ系になってたりしたら私のライフが0を通り越してマイナスになる所だったわ…出番無くて良かったわ六鬼団…
※サモハンキンポーは好きですよ?
・しかし黒い帽子と黒い羽織、灰色の髪というモノトーン花田の色合いだけはステキです。(原作花田はハデな女物を着ているという印象)
・「うわー花田の衣装って上半身裸に羽織一枚とか映画で随分エロく変更されたなあ」と思ったけどよく考えたら原作通りの衣装だった。実写になると印象変わりますね。
・宇留間は原作では「高校球児」だったけど、映画では「挫折して野球部を去った後に急激にチャラくなった元球児」って感じです。
・相対的に火瓦が一番マトモに原作に沿ったビジュアルに見えてくる。
・吐様の「いかにも裏が有ります」的な胡散臭さが原作を越えた。
・華やかな衣装を纏うキャラが動き回る中、一番ステキなのは伊羽研水の衣装ではないかと思います。渋くシンプルな衣装の帯にさりげなく挿してある深い臙脂色のセンスのアクセントが粋。
・天津と対話する研水の背後にある巨大な岩のご神体(?)は、岩の上に座っていた密花のイメージでしょうか。
・おしろいをつけたまま戦っている槇絵様がとても艶かしい。
・パンフレットでの春爺解説「ヌンチャクと長刀を組み合わせたような形状」はいヌンチャクです。ヌンチャクです。大切な事なので2回です。己と同じ武器です。さりげなく六鬼団を盛り込んできたパンフレットです。廃ビル5階は六鬼団の為のブログです。
・せっかくビジュアルの完成度高いんだから、百淋と偽一にはもっと活躍して欲しかったです。百淋はせめて矢を射るシーンが有ればなあ。
・しかし百淋の活躍というと絶対アレが来るしなあ…
・百淋の金髪を見ていると、荒篠や足江進の金髪が江戸の町に存在する感じってこうなのかなーと妄想が膨らみます。
・戦闘シーンが本当に「殺し合い」って感じで凄い迫力です。
・血や手足や上半身が舞い散る映画であっても鯖人のキャストオフはNGなのか。
・卍が住む小屋の前での食事シーンで、卍一人の時は枝に刺した蛙を炙るだけの貧相な料理(?)だったのに、凛と暮らし始めた後には鍋が使用されています。凛が居る事で食生活が向上したのか。最初の時にはたまたま使っていなかっただけかも知れませんが。
那珂湊を思わせる最終決戦。本気で殺しに来るモブ数百人をひたすら斬りまくる卍と天津、そして卍に守られているとはいえ乱戦の中にいるのに無傷の凛。ヒロイン補正です。
・手首斬っても良いんやで(脈絡ないけど)
・「乱戦の中、馬に乗って颯爽と現れ凛を担ぎ上げ、危険な戦場から離脱する」と書くとまるで尸良が白馬の王子様のようだ!(離脱した先が安全な訳ではない)
・崖から落ちた程度で死ぬ尸良。
・オイオイ嘘だろオレ達の尸良がたった数十メートルの高さの崖から落ちて途中の岩に当たって血しぶき上げた程度で死ぬ訳無えよ20分後位に再登場するんだろ?え?これで退場?マジ?
・映画があと1時間あるとか、もしくは前後編に別れた上映形態であれば再登場して一暴れして最終的にカワイイわんわん達(野生)に囲まれてもふもふ(咀嚼音)されて昇天できたのに。
・ケープを羽織った那珂湊バージョン槇絵様が見られるとは。この衣装で六鬼団と対峙して斬りまくったんだなと思うと喜んでいいのか悲しんでいいのか。
・卍、天津、槇絵様が数百人の幕府側の人間を斬りまくっている姿を、余裕の表情で握り飯を頬張りながら高見の見物する吐。このシーンの吐は何を考えていたんでしょうね。
・もし吐が只の剣士という設定であれば「部下達をわざと斬らせる事で天津達の戦いぶりを見極めようとする尸良のような外道」とかムリヤリ説明出来るかも知れませんが、仮にも幕府の重鎮という立場でそんな事をすれば切腹が待っているし、それを予想出来ない吐ではないだろうし。
・もしかしてこの時点で既に切腹が決まっているという設定なのか?でも切腹の決まった人間に数百人の部下を動かす権力は無いよな…もし手駒が欲しいなら六鬼団みたいな死罪人をムリヤリ連れて来るしか無いだろうし…
・あっそうか!つまりあの数百人のモブ達は六鬼団なんだよ!逸刀流を潰すために消費される吐の手駒としての六鬼団という存在があのモブ数百人という形でスクリーンに映し出されているんだよ!六鬼団(花組6人&蛇組数十人)は数百人分の戦闘力を持つ集団だったという事なんだよ!六鬼団が斬られようが命を落とそうが、天津だけを追う吐にとっては握り飯を頬張りながら眺められる程度の出来事でしかないという関係性を表しているんだよ!六鬼団を登場させる事無く(前歯を欠けさせる事もサモハンキンポーになる事もなく)六鬼団を表現するとは!なんて凄い映画だ!

※画面クリックで少し大きくなります。
・「乱戦の中で火薬の臭いに気付く」という燎のポジションが槇絵様に引き継がれました。ここでも六鬼団を感じられて嬉しい六鬼団ファン。
・数百人を斬ってボロボロになっている天津に両断される吐。
・そりゃないよ父上…
・最期に上半身だけで血溜まりを這う姿には執念を感じますが、原作を知らない人から見ると何に対する執念なのかよく判らないのが残念です。
・映画での天津は冷酷さを前面に出している感じですね。最期のシーンでかなり本気で凛を斬ろうとしていたし。
・乱戦が終わって卍・凛・天津が対峙する瞬間、「天津を刺し両親の仇を取る凛」「自分の野望の為に犠牲にした人間の娘に斬られる天津」「天津の振り下ろす武器から凛を守りきる事で過去と決別する卍」という、3人の戦いの結末が重なったあの一瞬が好き。天津と凛については原作通りの行動ではあるけども、そこに卍がああいう関わり方をした事にハッとしました。
・凛に「卍さんは死にたがっている」と言われたり、時々(血仙殺の後遺症で?)卍の再生能力が段々落ちていってるように見える描写が挟まれているせいで、映画オリジナルの展開で卍が本当に死ぬんじゃないかと焦りました。
・卍に縋って凛が泣き叫んでいる時に目を開けて生き返る卍。ここのラストシーンはただ単純に「不死者が蘇生した」というだけでなく、「50年間絶望しながら生きてきた男が死に、生きる意志を持った万治が再生した」という事なんだろうか。
・というシーンでいきなりエンディングに入るんですけど!そこはもう少し余韻が欲しかったですよ!その後2人がどうなったとか!いっそエンディング後に布由ちゃんが一瞬出るとか!布由ちゃんを見守る万治とか!
・それはそれとしてエンディングの入りはカッコイイ。
・観る前は2時間半の上映は長いなーと思ってたんですけど、終わってみるとあっという間でした。
・六鬼団は出なかったけども!六鬼団という概念は大画面に写ったよ!六鬼団という概念が!