今日の六鬼妄想 呉嘉と足江進編①

27巻で戦った六鬼団・足江進と逸刀流・呉嘉について色々考えてみます。
足江進は駿河沖で嵐にあい海に投げ出され、日本に漂着し、飢餓、リンチ、処刑寸前、リンチパート2、漂着パート2という散々な目に遭いました。程度の違いは有りますが、呉嘉も足江進と同じ遭難者であり、故郷から遠く離れた異国の地で生きる事を余儀なくされた身です。基本的に同じような経験をし同じ境遇に陥った筈なのに全く違う道を歩み、最後には殺し合う事になってしまった二人。同じ経緯で日本に来たのにこんなにも違う結果を迎えた原因は果たして運だけだったのでしょうか。
まずは彼らの足跡を改めて検証してみます。足江進は日本に流れ着いた時点で全く日本語が話せなかった訳ですから、土地の人間に助けを求める為に話しかける事も言われた言葉を理解する事も出来なかった訳です。そして農民達の方も、異人ということで足江進を避けていたのでは。例え足江進が、通じないなりにも村人に話しかけようとしても、村人は足江進から逃げて家の中に閉じこもり固く戸を閉じてしまっていたという可能性も有ります。村人からは相手にされず、役人に助けを求めようにも役所が何処にあるか判らない。もしかしたら他にも生き残った仲間がいるかもという希望は消え(潮の流れ的に仲間の死体が同じ浜辺に流れ着いている可能性が高い)、助かる術は見つからず、孤独と恐怖と飢えに襲われる。精神的に行き詰まり、思考が「これからどうするか、どうやって助かるか」ではなく「どうやって今の飢えをしのぐか」に変化。そしてただ目先の空腹を紛らわせる為に盗みを繰り返すようになってしまったのかも知れません。この時点で足江進は前向きに生きる事を諦め、望みを棄てネガティブな精神状態になってしまっていたのではないでしょうか。
足江進が助けを求めた百姓が暮らしていた土地も、もしかしたら特殊な場所だったのかも知れません。直接異人に関わりたくないにしても、役人に「異人の遭難者がいるよ」という情報を伝える事が出来た筈なのに、何もせずにひたすら足江進を放置し無視し続けた。もしかしたら元々その土地には役人には来てほしくないような闇の部分(村人が犯罪者とか村ぐるみで隠している盗品とか)があったから役所に連絡をしなかった。そして足江進を捕まえた際、言葉が判らないのを良いことに村の闇の部分を全部足江進のせいにして役人に突き出した、そして何も知らない役人は村人の言葉を鵜呑みにし、さらに異人差別の感情もあり情状酌量の余地も無くいきなり処刑という措置をとった、という可能性も有るのかも。(でも「処刑されてた筈」というのはあくまでも足江進の主観なので実際にそういう状況だったかどうかは不明なのですが。)
遭難から始まり、飢えた事もリンチされた事も罪人になった事も荒篠を巻き込んだ事も、全てが足江進にとって望んでもいなかった不本意な結果です。他に生きる選択肢が無いから六鬼団にいるだけで、決して現状を受け入れてる訳では無いのではないでしょうか。足江進は(日本に着いてからは)自分の意志ではなく他人の手で人生を決められ続け、本人が望まない状態で水戸路に立っている訳です。
一方の呉嘉は「遭難て所までは同じ」と言っていますから、言葉通りに単純に考えれば漂着後はそれほど酷い飢餓に会うこと無く比較的早い段階で役人に、または直接道場関係者に拾われたのでしょう。流れ着いた時には、言葉が通じなくても避けられても構わずガンガン話しかけたのか、この時点ですでに日本語が話せたのか、流れ着いた地域の人達が凄く優しい人間だったのか、経過は色々考えられますがとにかく助かりました。窃盗等の犯罪を犯した訳ではないようなので(もしくは情状酌量で見逃してもらったのか)本人が望めばオランダに帰ることも出来たはずなのに、呉嘉は日本で生きる事を選択しています。言葉や習慣を身につけ、自分の意志で剣を学び(拾われた先がたまたま道場だったからというのも有るでしょうが)、自分の意志で道場を捨て逸刀流に加わり、自分の意志で戦いました。こうやって見ると、運が良かったのも確かですが可能な限り現状を受け入れ自分で人生を選択し、制限された範囲内ではありますが自分が望んだ通りの生き方をしてきた訳です。呉嘉は困難を受け入れて立ち向かう精神力を持ち、基本的に前向きな性格だったのでしょう。このように、自ら望んで水戸路に立っているのが呉嘉です。
呉嘉は望めばいつでも本国に帰ることが出来た立場なのに何故日本に残ったのか。もしかして呉嘉も「海がトラウマで船が怖い」という状態だったのかも。足江進の経験が酷すぎるせいで軽く見られがちですが、よく考えたら一回遭難に合うだけでも相当な恐怖ですから。・・・まさか「サムライに憧れて日本に来ました。スシ、テンプラ、ダイスキデース!」とかいうノリで日本に来たんじゃないだろうな(笑)
足江進と呉嘉は基本的には似たような人間なのに、不運と幸運、ネガティブとポジティブ、六鬼団と逸刀流というように、表と裏といった立ち位置にあると言えるのではないでしょうか。そして同じ目に会いながら、ほんのちょっとの巡り合わせで全く違う人生を歩んだ末に水戸路上で対決、片方が片方の首をはねるという結末を迎えました。「無限の住人」という物語上、ただ脇役同士が話してるだけのシーンにすぎない訳ですからサラッと数ページで終わってますが、これが「無限の住人」で無ければこの2人を主役級とした長編漫画が一本出来上がるレベルの濃い設定ですよ。
ほんのちょっとの偶然で足江進が逸刀流に、呉嘉が六鬼団に居たかも知れないし、二人そろって六鬼団に居たかも知れないし、逆に逸刀流に居たかも知れない。それとも剣を持たない全く違う運命を歩んでいたか、別のオランダ船に乗せてもらって故郷に帰っていたか。可能性は無限大です。
そんな可能性の一つとして、もし足江進が最初の漂着の時に呉嘉のいる道場に拾われていたらどうなっていたかという妄想。
まず足江進は農民によるリンチに会う前に保護されますから、日本や日本人に対する印象が悪くなる事が無くなる、むしろかなり好感度が高くなります。処刑話も無くなり、荒篠が足江進を庇う必要もありませんから荒篠は何も失う事無く商談を終え本国に帰ることが出来ます。船上でのリンチも無くなるので、片目を失う事も頭を割られる事も無く、両目の揃った無傷の足江進になり、恐らくバンダナを巻く必要もなくなります。日本語も積極的に覚えようとしたかも知れません。道場では正統派の剣の稽古に打ち込み、槍を持つ事は無くなります。日本名は「八宗足江進」ではなくなるかも。海に対するトラウマも軽くなり(一回船が沈んでいる以上はトラウマがゼロになる事は無いと思いますが)性格も多少は明るく変化。呉嘉は同じ経験をした同年代の相手なので良き友人に落ち着く。場合によっては帰郷も可能。八方丸く収まるハッピーエンドです。
あえて言えば心兵が友人を失って船の上で槇絵に斬られて死亡するんですが。また報われないポジションだな心兵・・・(笑)
考えれば考えるほど数ページで終わらすには惜しい設定してる呉嘉&足江進。ほんの少しの偶然で親友にもなれた筈なのに・・・。脇役同士なのが本気で悔やまれますね。